さぁ、ペアを作りましょう
ペアやグループを作る体育の時間が、
私は好きじゃありませんでした。
小学校のときは出席番号やクラスで作っていた班ごとに、
ペアやグループを組むことが多い。
でも中学・高校になると、
「適当にペアを組んで」とか
「誰とでもいいからグループになって」とか
言われるようになります。
そのたびに私は思いました。
「先生が決めてくれればいいのに」と。
いつも特定の人と組むところもあれば、
仲良しグループの中でペアを作るところもあります。
その中で誰ともペアになれない子が、
必ずと言っていいほど1人出てきます。
3人や5人などの奇数グループのうちの1人、
普段から孤立している子など。
最悪なのが、1人になった子に気づいた先生の言葉。
「誰か○○を入れてくれるところはないか?」
と呼びかけるのです。
溢れてしまった子は、
1人になったことへの淋しさや孤独も感じるでしょう。
でもそれより先生が与えるのは、屈辱。
「自分は入れてもらわないといけない存在なの?」
私がペアを作らないといけない体育の授業が
嫌だった一番の理由は、
1人になった子を見たくないからじゃない。
1人になった子を見ながらも、
何もできない自分の弱さを思い知るから。
今なら自分からその子の元に歩み寄ったり、
こちらに手招いたりすることだって、全く難しくなんてありません。
でもあの頃、特に中学生の頃はまだ幼すぎました。
心が弱すぎました。
友達という存在が、あまりにも大きすぎました。
私は体育の授業で、1人ぼっちになってしまったことはありません。
いつも誰かしらと一緒に組んでいました。
でももし1度でも1人になってしまうことがあったとしたら、
傷になっていたかもしれません。
「大きな」というより、見た目以上に治りの悪いかすり傷。
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